成人の日に想う!あれから20年!歩んだ道から次の20年の生き方へ

初日の出 2017 鵠沼海岸マインド・思考
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初日の出 2017 鵠沼海岸

やっぱり「成人の日は1月15日」という頭がずっと抜けないでいる今年もハッピーマンデーの成人の日ですが、新成人の皆さん、おめでとうございます!

よくよく考えると、自分が成人してからもうかれこれ20年弱、新成人の姿を見ておめでとうって想ってるんですよね。時代の流れは早い早い…苦笑

また、新成人の皆さんと何処かで何かの形で関わることがあれば、その機会が来る日を楽しみにしてます。

hikkyusanも今年40才になる39イヤーを爆進中な訳ですが、自分の成人式からもう20年弱経ったということで、ふと考えてみたりしたんですよ。

そんな内容を今回はシェアしようと思います。

20年前に今の状況は想像出来なかった

自分が成人したのが1998年度(1999年1月)ですが、その頃は大学に通い、勉学に励みぶっちぎることを目指し、サークル活動も初心者から初めたテニスで経験者を打ち負かすのに熱を入れ、ホテルのウェイターで働きまくって稼ぐという日々でしたね。

あっ、サークルの飲み会の4分の3は記憶が飛んでるという、今思えば最狂な時代を楽しんでたのは内緒です…笑

そんな当時、携帯電話を持つか持たないかで、ポケベルとかPHSが中心だったし、ネット環境なんてダイヤルアップで「ピーーーーーヒョウロロロロローーーー」って感じで繋いで、重たいファイルを送受信しようとするとブチッて切れて繋ぎ直し…でしたからね。

「30才までに起業する!」という何の根拠もない目指すモノだけあって、それ以外はざっくりなイメージしか持ってなかったのが当時の自分。

当時の付き合いなんて、今ではフェイスブックがあるから微かに繋がってるけど、普段繋がっているかというと全くもって繋がってない。

今一緒にいる人たちとの繋がりを考えても、こんな人たちと出会えるなんて思ってもなかったからね。想定外というか、想定すら出来なかった訳ですよ。

1つだけ言えることは、自分がこの道を歩いてきてなかったら、間違いなく今一緒にいる人たちと出会ったタイミングでは出会ってなかったということ。

そう考えると、想像は出来てなかったけど、振り返ってみれば全部繋がってるんですよね。

ということで、少し自分の歩いてきた道を振り返りー。

この20年間の軌跡

略歴は運営者プロフィールを見てもらうとして、簡単に今に至るまでの経緯を。

成人〜就職活動の頃

成人式を迎え、翌年には就職活動が始まり、当時憧れだった経営コンサルティングの会社の説明会に片っ端から参加してたんですね。

その説明会で「今の時代、経営にはITが必須です!」みたいなことをバカの一つ覚えみたいにみんな言ってたので、「じゃ、ITの会社にいた方が経営に影響与えられるじゃん!」と未経験のIT系の会社に希望を変えたり。

文系でコンピューターの「コの字」も分からず、面接で「コンピューター経験は?」と聞かれて「レポートを作成したり、UNIXのメールを少しと、就活でリクナビを使うくらいです!」なんて言い切ってったくらいですからね…笑

そんな勢いだけで就活してて、不思議とIT系の会社は受かりまくったんですよね!笑

で、最終的に大手の伝統あるメーカーと新鋭のメーカーの2社で迷ってたんですが、先に決まった伝統あるメーカーで提出する教授の推薦状を準備して持っていこうとしてたら、新鋭メーカーから採用の電話が掛かってきた。

今から伝統あるメーカーに推薦状持って行くところであることを伝えると「その推薦状持ってうちに来い!」と!笑

「何だ?!この会社?!こういうノリ好きだぞ!!」って、その場で新鋭メーカーに行くことを決めたのも懐かしい。

実は、これと合わせて決め手だったのが環境で、伝統あるメーカーは都心の溜池山王にあって重厚感ある会社のロビー、新鋭のメーカーはウォーターフロントの天王洲にあって開放感のあるロビー、どっちに惹かれたか?で文句なしに後者になった。

当時、2000年問題で大騒ぎしていた頃、です。

新卒〜SEの時代

そんな状態で入社したもんだから、そりゃ入ってから大変よね、覚えることが小難しいチンプンカンプンなことばっかだったので。

でも、さすが大手!世界第二位の外資コンピューターメーカーということもあって、社員教育がしっかりしてたおかげで何とか最低限のことはインプット出来たのが有難い。

今思うと、この頃の経験が一番生きてたりするから。

最初は営業のサポートという立場で提案書を作成して客先へ同行してたけど、そのうち「システム開発をしたい!」という願望が強くなり、部署移動を懇願して某携帯電話会社のメールシステムを受注したらそのまま開発部隊へ移動出来ることに。

そうしたら受注しちゃって!それからシステム開発という未知の領域に踏み込み、おかげでエラい鍛えられましたね。

プロジェクト管理をはじめ、今では宇宙語とかふざけて呼んでるソースコードなんかも、この頃の経験があるからこそ今も抵抗なく見たりいじったり出来るし。

夜勤→日勤→夜勤という、今で言ったらブラック認定間違いなしなことだって、楽しんでやってましたから!国内居ながらにして時差ボケを感じるような生活をしてたりね!笑

しかも、ある時、突然「パスポート持ってる?」と部長から聞かれ、「あっ、持ってますよ。」と答えたら、「じゃぁ、来週から中国行ってきて!」って!笑

「何するんですか?」って聞いたら「よく分かんないから現地で確認して!」って!笑

もうね、色々鍛えられますよ、ほんとに…笑

まっ、現地では、エリックだのウィルソンだの、勝手に英語名を名乗ってる中国人のプロジェクトメンバーに迎えられ、休みの日もあちこち案内してもらったりして、本当にありがたい経験でしたね。有名どころは全部行ったし。

サソリを食べたり、偉い方しか入れない料亭で3分に1回のペースで紹興酒で乾杯したり、日本では数切れでナンボの北京ダックがポテトチップみたいに山盛りでドカンと出てきたり、激辛の四川料理で口と舌が麻酔を受けたみたいに感覚麻痺したり。

とにかく貴重な経験も出来たのがこの頃。

ちなみに、新卒で入ったこの会社、2年目に夏休みを取ってる時に、テレビの夕刊ニュースみたいなので「H社がC社を買収!」って見たのよね。

「んっ?買収…されてんのかよっ!!」って初めての経験で焦って、思わず部署に電話掛けちゃいましたからね!

そうしたら上司が「こういうのはよくあるから大丈夫よー!気にせず夏休み楽しんできなー!」って!笑

「何だ?この余裕?」と思いながら、会社ってこういうもんなんだな、という自分の中の常識が創られていったんですね。

そこから数年はプロジェクトにどっぷりだったり、途中からは社長直轄のタスクフォースチームでイベントを中心とした企画やマーケティングも経験してきました。

それも今となっては生きてきてるしね。

突然の転職

2つ目のビッグプロジェクトも開発が終盤に差し掛かる頃、何を血迷ったか世の中の動向を知りたくなり、そのためには「転職活動でもして面接官から色々聴き出せば早い!」という、何とも勝手な思い込みから転職活動をし始めたのね。

で、軽い気持ちで色々受けてたら、ある一社が受けた当日の夜に「通ったので来て下さい!」と電話があり、「次の面接はいつですか?」と聞いたら、、、「もう採用決定ですよ!面接したのが本部長だから!」って!笑

「おいおいおい!急過ぎるでしょ!年を越してからかと思ったわ!」と内心思いながら、即決している自分がいたり…笑

さて、ここからが大変よ。プロジェクトも佳境で、しかも時期は年末!笑

まずは直属の上司に報告しないと!と思いながらも、タイミングが難しくてね…結局、年内の最後の最後、「今年もお世話になりました!」の挨拶と合わせて報告したし!笑

結構長々と話をして納得してくれて、最後は応援してくれて有難かったですね。

年明け早々、客先のプロジェクトルームで向かいに座ってるプロジェクトリーダーのところへ一本の電話が入り、いきなり「えっ?!ほんまですか?!」とデカイ声を上げ…こちらを見て…

この後、休憩室へ直行でコーヒー飲みながら話しましたよ!笑

まぁ、引き継ぎ含め色々ありましたが、無事に退職出来、わざわざ送別会まで開いてくれて初めての転職を経験出来ました。

実際は、退職後も2、3ヶ月は裏サポートしてたりしたんですけどね。

転職、引き抜き、そして独立へ

今思うと、間違いなくこの転職が現状を創っている一番大きな要因ですね。

というのも、ここから先はジェットコースターのような人生というより、スキー場にある急斜面のこぶを滑走するような人生になったから。

次から次へとデッカいこぶが出てくる出てくる!休んでる暇なんてない!必死!笑

書くと長くなりそうなので、ざっくりまとめると、、、

転職した先の会社の先輩が新しく会社を興し、「SEってホームページ作れるでしょ?」と引き抜かれ、ウェブ担当として就任。

投資の自動売買システムの販売をウェブ問い合わせからオペレーターがクロージングして、ウェブ経由の売上の報酬は折半でもらうという何ともありがたい形で参画。

が、、、その会社が半年でポシャり、そこからが完全に独り身での活動に。

という感じから、HP制作とコーチングを軸に仕事し始め、光回線の代理店をやってチラシ集客で荒稼ぎしたり、パワーストーン売ったり、マイ箸売ったり、アウトドア用品売ったり、イベントプロデュースしたり、起業家サポート事業に取り組んだり、色々やってきて今に至る。

かなりハショッテるけど。

確かにさ、30才までには起業する!とは言ったけど、まさかもまさか、登ったハシゴがいきなり外れるとはね…笑

想像もしてなかった訳よ、これも。

最近の風潮の「独立だー!」「起業だー!」みたいに環境が整ってる訳でもなく、いきなり宙ぶらりんでしたからね。

もうネタですよ!ネタ!

次の20年の生き方

改めて振り返ってみても、今の状況や環境は20年前には想像出来てなかったし、今まで通ってきた道も一言で言えば「想定外の連続」だった訳ですよ。

世間的なインフラ環境にしても、スマホ中心のライフスタイルなんて想像すら出来なかった訳だし、環境が全く違ってくればライフスタイルだって変わってくるんですよね。

だから、「2017年のマイテーマは?自分の羅針盤を持って一年を駆け抜けよう」で今年のテーマは決めてるけど、ガチガチに未来設計なんてしたって、言ってみれば机上の空論だし、全くないよりはイイけど絶対じゃないと思うんですよ。

大きな目指す方向性は持っていたいけど、その過程をとことん楽しむ方が合ってると思うんですよね、時代と。

次の20年が過ぎた頃には60才近くなってる訳で、何をやるか?と考えるよりも、やりたいと思うことはとことんやり尽くして楽しみ尽くしていきたいね。

時代の流れは早いし、その流れを観ながら、時代の流れに合わせた自分のペースで楽しんでいくって生き方でありたいな、って思います。

というかさ、もし今年子供が生まれたとして、その子が成人する頃には自分は60才になってるんだよなぁ、って思うと色々考えるよね…笑

まとめ

書いてて思ったけど、こうやって20年を振り返ってみると、結構ドデカイ環境の変化を何度も通ってきてるんだなぁ、と改めて実感。

環境の変化を通ってきてるというか、起こしてきてるっていうのかな…笑

正直、未来なんて予測するのはイイけど、それに拘るのは無駄!よね。現時点で立てているプランだって、環境が変われば見直し、方向修正、プラン立て直しが必要になるしね。

成人の日というイベントがあって、こうやって振り返ってみたくなったのも何かのメッセージ。

既に決めている今年のテーマ、目指すところ、これを軸にしながらも、今後20年、更にその先を見据えつつ、どうなってるか予測出来ない遠くは心の奥に残して、日々を思いっきり楽しみまくる!ってのがイイね。

と、超シンプルな結論に達した2017年の成人の日。ありがとう!

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