社会貢献や利他の精神を美化し過ぎない!根底は自分の満足感と充実感

水田 田んぼ 米作り 稲作 農業マインド・思考
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「社会貢献」や「利他の精神」、こんな素敵な聞こえの良い言葉がよく使われていて、「それを行うことが大事」「それが清く正しいこと」「それが高レベルの活動」みたいな風潮ってありますよね。

でも、それって本当に大切なことを見失ってたりするんです。

個人的にも10年くらい前は好き好んで多用しまくっていた「社会貢献」「利他の精神」という言葉。改めて考えると、モノスゴク不自然な言葉なんです。

まず、社会貢献って特別なことでも何でもなく、社会の一員として日常生活をしていれば、自然と社会貢献しているんですよ。

例えば、買い物しますよね?食事、洋服、住まい、娯楽、その他、色々な用途で買い物をしていると思います。そこで買い物をすること自体、売り手の売上に貢献しているんですよ。

売上が上がることで、次の新商品やサービスの開発に回す資金が増えたり、スタッフへの給料を上げられたり、大感謝祭みたいに消費者に還元したり出来る。極自然な経済循環に貢献している訳です。

日常生活を紐解いてみれば、直接、間接問わず、自分の活動がどれだけの人に貢献しているか?って観えてくると思うんですよね。

何も、改まって「社会貢献活動」「利他の精神こそ全て」みたいに考える必要なんてなくて、普通に生活していても、更には、自分の出来る最大限のことを日々やっていく、ということ自体が社会貢献であり利他に繋がっていくんです。

また、視点を変えれば、わざわざ「社会貢献」「利他の精神」と声高らかに活動しているということは、裏を返すと、、

「社会貢献している自分が好き」
「社会貢献している私って素敵」
「利他の精神な私ってレベル高い」

みたいに、自分の満足感や充実感を得るためなんですよね。大概はそれを意識していない(する必要もない)ですが。

心の底からそれをやっているのでも、自分が楽しいからやってるのでもなく、

「そうしてる自分を認めて欲しい」
「高く評価してもらいたい」

からやってるだけ。むしろ、取り付かれた「義務感」にさえなってしまいがち。

これって、モロ「自分のため」ですよね。良いとか悪いとかではなく、それが人間の特性なんだから自然なこと。それを恥じる必要も隠す必要もなくて、「そういうもの」なんです。

本当に社会貢献のスタンスや利他の精神でいる人というのは、純粋にそれが好きだからやってるし、それが自分の生き甲斐だからやってるという自然な感じですよね。

「楽しいから!」
「好きだから!」
「全て自分のため!」

それでイイじゃん!!

社会貢献や利他の精神が美化され過ぎて、自分のために活動することがそれよりレベルが劣る、というイメージを持つこと自体ナンセンスだし、全く要らないこと。

純粋に「自分のため」「楽しいから」「好きだから」という本音の部分を大切に活動すればイイと思うんですよね。結果、社会貢献や利他に繋がるんだから。これを意識するなら、「自分のため」から「自分たちのため」になるんです。

「社会貢献」や「利他の精神」という美化され過ぎた言葉に囚われないで、義務感でも見栄でもなく、純粋に「自分が好きだからやってる」という人が溢れていくと面白くなりそうですね。

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