よく耳にする議論に、
「詰め込み教育は良いのか?悪いのか?」
というのがある。
詰め込み教育を議論すること自体は悪いことではないと思うが、そもそも物事を良し悪しだけで判別してしまうことはどうかと思う。
確かに詰め込み教育は子供の創造性を失わせてしまうという主張もある。
だがよく考えて欲しい。
創造性、創造性とはいうが、何も詰め込んでいない状態では創造性も何もない。
赤ちゃんだって、
目に入ってくるもの、
耳から入ってくるもの、
肌で感じるもの、
五感をフル活用したインプットがあるからこそ、次のアウトプットがあるのだ。
インプットがない状態ではアウトプットは出来ない。
というか、するものがない。
勉強も同じだ。
インプットである詰め込み教育は必要だ。
ただ、現状の問題はそれをアウトプットする機会が少ないことだ。
アウトプットする機会と言えば、試験しかない。
これではただの詰め込み教育と批判されても仕方ない。
インプットしたものをベースに、自ら色々考え、行動するアウトプットに繋げることが、創造性に繋がっていくのだ。
何事もバランスが重要だと思う。
インプットとアウトプットのバランスが。
一つ問題を例に考えてみたい。
1 + 1 = ?
んっ?簡単じゃん!
1 + 1 = 2
正解。
な~んだ、それだけか、と思うのが普通だ。
でも、もう少し考えてみよう。
1 + 1 = 10
という答えもあるのだ。
はっ?!意味分からない!
何で1と1を足して10なの?
例え話なら分かるけど・・・。
えっ?
別に例え話でも何でもない!
れっきとした数式だ。
2進数だとこうなるのだ。
学校では10進数しかやらないから、「1 + 1 = 2」が唯一の答えとなってしまう。
しかし、コンピュータに携わっている人は分かると思うが、コンピュータは2進が基本だ。
(8進、16進表現もあるが、最小の世界は0、1だ)
世の中には2進(8進、16進も)という考え方もあるのだ。
これはそういうインプットがなければ気付くことはほぼゼロだろう。
(もしかしたら気付く人もいるかもしれないが)
こんなこと知らなくたっていい!と言う方は沢山いると思う。
しかし、10進しかインプットがなければそれだけの視野しか持てない。
そこに2進、8進、16進、という視野がインプットされれば、今まで以上の視野になる。
インプットが増えれば、アウトプットするためのネタが、それだけ増えることになる。
要は詰め込みは大事なのだ。
詰め込む内容がその人にとって必要であろうがなかろうが、とにかくインプットすることは重要なのだ。
それを使うか使わないかはその後自分で判断すればよい。
創造性を豊かにしたいのであれば、たっぷり詰め込み、詰め込むのと同じくらい考える機会を与えることだ。
インプットとアウトプットのバランスが大事なのだ。
コメント
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そもそも現状の教育の問題点を正しく認識出来る方々が教育カリキュラムを考えていればいいのですが、おそらくいないのでしょうね・・・。
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詰め込みが悪いわけではなく
アウトプットする機会を与えていないことが
問題である。
それをわからずにゆとりの旗を掲げても
今のように
知識が無い状況になるのです。
もっともっと外に発信する機会を増やすことが大切です
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>それを日常でどのように使うかが重要なんですよね。
何かを学ぶということは、それが自分の中で活かされなければ意味がありません。OutputするためにInputするのです。それに気付くには、野外活動は非常によい環境だと思います。
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野外での活動でもアウトプットが必要ですよね。それを日常でどのように使うかが重要なんですよね。知らなければ、わからないし、アウトプットしなければ使えないですから・・・。エデュケーションにすべきですよね。
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InputするにもOutputするにも5W1Hは大切ですね。特にInputに際しては、Inputされたものを鵜呑みにするのではなく、何故(Why)そうなのか?と考えるようにしたいですね。情報の本質を見抜く力を養うことが必要だと思います。
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InputとOutputのバランスとは、結局のところ一体なんだろうと考えていましたが、
たとえば方程式なり知識なり(What)をInputすれば、
いつ(When)その方程式や知識をOutputすればいいのか、
どんな状況でなら(Where)Outputするにふさわしいか、
どのように(How)Outputすればいいのか、
なぜ(Why)その知識のInputとOutputが重要なのか、
という、5W1HすべてをInputする必要があるのかな、と思いました。
ちなみにWhoは、教わる側の立場にある、例えば子どもじゃないか、と思います。